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KINAN RACING

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畑中勇介選手 選手キャリア終了のお知らせ

2017年のロードレース日本チャンピオンであり、国内外でのレースで多くの実績を残してきた畑中勇介選手が2024年シーズンをもってライダーとしてのキャリアを終了することとなりました。

10月18日に栃木県宇都宮市で行われた「宇都宮ジャパンカップサイクルロードレース」のチームプレゼンテーションにて、選手としてのフェーズを終えることをみずからの口で発表しました。
20年間のプロキャリアでは、4チームに所属。フランスをベースとした活動経験もあり、国内外でのレースで多数の実績を手にしてきました。

とりわけ、3位に入り表彰台に上がった2010年のジャパンカップ、そして2017年のロード全日本選手権での優勝は長きにわたる選手活動におけるハイライトとなります。KINAN Racing Teamには2021年に加入し、同年のコーユーレンティア オートポリスロードレースでの優勝、翌年の宇都宮清原クリテリム3位など、コースレイアウトを問わずオールラウンドに活躍を続けてきました。また、国内リーグのJプロツアーでは2010・2011・2015年に個人総合優勝を果たしています。
レース外でも、サイクルイベントでのファンサービスやトークで盛り上げに貢献するほか、近年はレース中継での解説業など、マルチに活動を行っています。後述の通り、引き続き自転車に携わり、サイクルシーンの活性化に努めることに意欲的です。

ロードレース公式戦は、たくさんの思い出が詰まった宇都宮ジャパンカップサイクルロードレースが最後となる見通しです。その後は「ツール・ド・フランス さいたまクリテリウム」や各地で開催されるイベントへのゲスト参加、シクロクロス競技参戦などを予定しています。今後のスケジュールならびに、2025年の動向については、追って畑中選手とチームより発表してまいります。
畑中選手のデータ、ならびにキャリアの終わりに寄せる手記は下記をご参照ください。
畑中 勇介(はたなか ゆうすけ)/Yusuke HATANAKA
1985年6月21日生まれ・東京都出身

・主な国際大会実績
2008年 ジェラジャ・マレーシア第7ステージ 優勝
2010年 熊本国際ロードレース 2位
2010年 ジャパンカップサイクルロードレース 3位
2011年 ツール・ド・おきなわ第2ステージ 優勝
2011年 ツール・ド・熊野第1ステージ 2位
2012年 ツール・ド・台湾第6ステージ 2位
2015年 全日本選手権ロードレース 2位
2017年 全日本選手権ロードレース 優勝
2017年 ツール・ド・とちぎ第3ステージ 2位
2017年 ツール・ド・おきなわ 3位
2018年 アジア選手権チームタイムトライアル 優勝
畑中勇介 キャリアの終わりによせて
「やり切りました!」
中学2年生、99年のジャパンカップでパンターニも所属するメルカトーネウノ ビアンキの選手と栗村修選手の2名がレースの先頭を走る姿を目の当たりにし、自転車選手になると決めて25年、プロとして活動をして20年。
私の能力の限りを尽くした選手人生でした。

もちろん夢はツールであり、ジャパンカップ優勝でした。
かなり近いところまで行ったこともあります。
ワールドツアーチームと最終のコンタクトまで取れたこともあります。
しかしそれは簡単な事ではありませんでした。

最大の夢は叶えることが出来ませんでしたが、挑戦し続けることで得た沢山のものがあります。
自転車競技と出会ってなければ、パスポートに沢山の国のスタンプが押されることもなかったし、全力で戦ってなければ沢山の方に応援されることもなかったでしょう。

ジャパンカップで3位に入った時、私は神になったと思いました!
あの場所で戦う選手をわたし自身が神だと思っていたから。
神になったのだから、なんかもう大丈夫だと思い、ずっと支えてくれた妻とも結婚できました(笑)
子供も無事に成長してくれています!

選手として一番成長した時期はある意味では頭のネジが飛んでいたと思います。
自分勝手だったから周りの人たちは大変だったと思います。でもそれくらい全てを賭けていました。あらゆるリスクもなんとも思っていませんでした。
詳細は伏せます(笑)

歳を重ね、子供も成長し、人生のフェーズが変わるタイミングは何回かありましたが、その都度選手としての目標を変えながら戦ってきましたが、今回のフェーズはこれまでと違い、もうサドルの上には目標は無いと理解しました。

こんなに最後の最後まで面倒を見てくれる組織はなかなか無いでしょう。キナンレーシングチームには本当に感謝しています。

最初にジャパンカップに連れてきてくれたクラブチームの社長、フランスのアマチュアチームに派遣し続けてくれたブリヂストン、色々な形でギリギリまで挑戦させてくれたシマノレーシング、最高の体制で日本チャンピオンまで導いてくれたチーム右京にも本当に感謝しています。

サイクルロードレースファンにも感謝しています。
国内リーグでも注目してくれる人たちもいっぱいいたから、目立つのが好きな私は頑張れました(笑)
業界関係者にも感謝です。主催者や審判の方々にも感謝です。
みんな自転車競技の世界が好きすぎです(笑)
一緒に国内各所、世界中で辛いこと、楽しいことをやってきました。
ありがとうございます。

そして何より、一番迷惑と、そして助けてくれた家族に感謝です。
本当に自由にやらせてもらいました(笑)
これからも多分まぁまぁ自由にやるでしょうけど、ネジだけは少し締めていきます。

来年以降ですが、私は現場が大好きなので、どうにかして現場にいる人になります!
レースの勝った、負けたが好きですし、イベントで多くのサイクリストの方と交流するのも好きです。
国内各所に行くのも好きですし、世界中の辺境で新たな経験をするのも大好きなので、自転車に関わる全ての事で活動できればと考えています。

選手としてのフェーズはこれで終えますが、違う形でまた自転車に乗って皆様とお会いできると思うので、その時はまたよろしくお願いします!

夢は叶えられなかった、でもいっさい悔いのない最高の選手生活でした!
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